FC2ブログ
11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月

五家の庄と玉虫(その7)

2014/03/04
五家の庄と玉虫(その7・永住の地)
                                                             
                                                 (室長)

用心に用心と高千穂を迂回、愛宕山から山の稜線を歩き続けること三里、目の眩むような坂道を下ると三ヶ所川の渓谷へ>と出る。

久蔵と又八は山あいの地形を見ながら、その日その日の宿営を定めた。
都合よく大きな横穴を見つけると

「今日はこの辺で休みますきーー」と豊後弁で言った。
一旦ここと決めると、要領よく火処と、寝床を定め、食事の用意をした。

年かさの久蔵が準備にかかると、今日も又八は半時もしないうち、きじや山鳩を下げてきた。
「よございますか、火を起すときは煙の出ないこの様な乾いた葉を用いて下され、杉の葉は煙が出ますキーー

ー、よろしゅうございますか、これがワラビ・これがゼンマイ、さわがにはほれ、このように石の下に、--」
と玉虫達がこれからするであろう山での生活の知識を、ことあるごとに教えた。

これまでいかに自分達か゛生活の基本を知らなかったのか、思い知らされた玉虫達であった。
「うわーーおいひい、ングング・・・」

「おいしいー ウン、おいしいー」
歩きに歩き腹をすかした玉虫達には、少し塩をつけただけのこの野鳥の肉は堪らないほど美味しかった。

久蔵が言ったとおり、山中の夜はひどく温度が下がったが、熊の蓑は殊の外温かく身を包んでくれた。
また梅雨の走りの雨も、体に染みとおることも無かった。

また靴は温かく、崖道さえもすべること無く、足を保護してくれた。

清経一行は、馬見原から五ヶ瀬の源流沿いを下り、向坂山より尾根伝いに国見岳・五勇山・鳥帽子岳、ばんさん越に至った。


IMG_0423_20140225135121fa1.jpg



猟師の久蔵はばんさんの頂きに来ると、周りを見回しながら立ち止まった。
「このあたりが肥後と日向の境辺りか

さすがの久蔵も五ヶ瀬より先には足を踏み入れたことは無かった、「あれから三日は歩いた・・」
雲海の中、およその見当をつけると谷川を下った。

久蔵はしばらく地形を見定め、少しばかりの原野を見つけると
清経様、この辺りでいかがなもので御座いましょう、あれに湧き水、当座の住いはあの洞穴、で」

どこまで行くのか少し不安を覚えていた清経は
「おおーそれは良い、一同どうじゃ」と久々に明るい声を出した。

「このカヤ地を畑にすれば、ソバもイモも取れましょう」
洞穴は奥行きが狭く、一同が寝屋にするには手狭であった。

「別に小屋を作りましょう」
久蔵と又八は手馴れた様子で木を切り倒すと、次々柱を作り、その日のうち粗方の骨組みを作り上げた。

翌日からは木の皮をはぎ、カヤを切り、屋根と壁を作ると雨露はこれで凌げた。
久蔵が急ぎに急ぐ理由は一行に分からなかったが、清経一行も必死に手伝う。


永住の地




翌日から雨は降り続いた。すでに季節は梅雨に入っていた。
雨が止むと久蔵達は原野を耕し始めた、若い盛行・近盛、郎党達も久蔵達を見よう見真似で原野を畑に変えた。

「清経さま、ここにイモを植えましょう、今年の秋には収穫出来ましょう」
一行の供侍の肩カゴに持参したのは重い金属製のクワの刃であり、肥料を必要としない種芋であり、また豆類の種であっ

た。
当座の食料は又八が射止めてくる山の動物であり、玉虫達が摘んで来る山菜の類であった。

玉虫は山あいの真っ暗な中に、降るようにきらめく星を見ながら、京の都の事が嘘のようであり、あの逃避行はなんだったのか、遠い遠い昔話のような思いに不思議な感覚を覚えた。

「なーー鈴虫ちゃん、星がきれいやなーー、もーー都などよりここがええと思いますなーー」
「そやなーー  もうここでもええなーー  まんじゅうは無いけどなーー 」

「敦盛さんどうならしゃったやろなーー」
「そうそう、同じ舟に乗ってた文盛さん四国へ行きはったがどうなりましたやろなーー私のタイプでしたのになーー」


など、やっと心の安息を得た二人は、空を見上げ昔の話を語り合った。


清経は気になっていたことを久蔵に聞いた。
「久蔵、竹田に帰らずとも良いのか

「わしら 冬を越すまで面倒見よと、緒方の殿に言われておりますキー 」
これまでの事考えるにつけ、久蔵達の働きと知識が無ければ、これまで生き延びられたかどうか、またこれから先どうな

るものか、
「ありがたい、世話かけるのーー」と素直に礼を言った。


都に駐屯していた那須一族に、平家追討の命が下ったのは八月も末の事であった。
「また我らになぜ」「一日も早く那須に帰りたい・・」と思っていた矢先のことでした。

与一は平家追討を命ぜられることを嬉しいとは思えませんでした。
長い都住まいにも心労がたたり、今は持病のセキに、寝たり起きたりの日々を過ごしていました。

「のう大八、お主わしの代わりに小次郎を連れて、九州に落人狩りに行ってはくれぬか」
与一は、枕元に末の弟大八を呼び寄せ、鎌倉からの命を伝えた。


那須の大八は甥の小次郎以下郎党30名を引き連れ、九州へと向かった。


                                            おわり(永住の地)
スポンサーサイト



12:59 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
コメント

管理者のみに表示