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小説 島原の子守唄(ニ話)

2012/06/25
小説 島原の子守唄 ( 第 ニ 話 )

                                             室長
明治十五年 夏


「口之津」

おこまもおみつも村から外へ出るのは生まれて初めてのことであった。
「まったく こげん遅そうなってしもうた」

久助はブツブツ不満げに独り言を吐いた。
宿に泊まると思いきや、行きつけの木賃宿であろうか、裏口からいくばくかの金を払い握り飯をもらって来

た。
どうやら今夜はこのお寺の軒先に泊まるらしい。

「ほら 喰え」っと、おこま達に握り飯を渡し、自分はタクワンで焼酎を飲みながら二人前の握り飯をたいらげた。

昼間の疲れからか、おこま達も握り飯を食べ終わると、あっと言う間に眠りに落ちた。
翌日、愛野の峠゛を下り、島原街道を南へ小浜を経て、夕方口之津に着いた。



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口之津歴史民族資料館より転写


明治十一年、島原の南端に長崎税関口之津支庁が開設された。
当時、海の玄関と言えば、横浜か長崎と言うのが一般的であった。

しかし開国以来西欧諸国が求めたのは、船の燃料となる石炭であった。帆船より蒸気船になった今、石炭の確保は水や食料と同じく至上の命題である。


明治政府は外国の要望に応える形で、石炭鉱脈の発掘と生産を奨励した。
大牟田には有望な石炭の鉱脈があり、これを三井物産が採掘した。

採掘された石炭は、20トン足らずの木造船で三池港より有明の海を横切り、口之津へと運ばれた。
当時外洋を航行する外国船は、すでに二千トン・三千トンで水深の浅い三池港には入港出来なかったのであ

る。
外洋に面し、水深も深い口之津の港は天然の良港であった。

当時、十隻以上の外国船が常時停泊する港は日本のどこを見ても無かったのである。
口之津の街は久助が言ったとおり、とてつもなく賑やかであった。

始めて見る洋服屋・南蛮菓子の店・自転車屋・赤い建て屋の連なる遊郭、おこまとおみつはポカンと目を見

開き足を止めた。
「コラ早よ来んかーー」と後ろを向いて久助が怒鳴った。

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口之津民族資料館より転写


「炭舎」


権造は口之津でも一・ニを争う沖仲師で、常時二百人もの荷役人夫を抱えていた。
「旦那、今日は上等を二本連れて参りました」

脂ぎった五十がらみのづんぐりした体つきの権造は奥の椅子に座ったまま、ギロリと久助を見ると、そのままうしろに立っているおこまとおみつに視線を移した。

村で見たどの年寄りとも違ったタイプの権造に、おこま達は体をこわばらせた。
何も言わずにつかつかと近寄ると、いきなり両手でおこまの肩をつかみ、次に胸をつかみ、更に腰と尻をポ

ンポンと叩いた。
おこまにとってそれは初めてのことであり、言い様の無い恥ずかしさであった。

おこまはこきざみに体がふるえ、母からもらった十字架を握り締めた。
「大丈夫かのう、こりゃあ骨ばかりじゃがーーー」

少し考える振りした権造「二本で百円じゃ」
「旦那、もう親達には三百円も払ってますか゛ーー、も少しきばってくれんですか?」

「バカタレ、この前も一ヶ月でくたばりおって、こっちは大損じゃ、埋め合わせはしてもらうぞ」
毛頭、権造も久助も正直な話ではない。

本当のところ、おこまもおみつの親も三十円をもらったのみであった。
問答無用とばかりに、「おーい、お梶、この二人炭舎に連れて行け」と怒鳴った。

事務所の奥から出てきたのは、権造とは反対に痩せて顔色の悪いお上のお梶であった。
先に立ったお梶は、港に近い長屋風の炭舎に連れて行き

「今日からここがお前達の家だよ」右側の蚕棚のような上下二段を指差した。
「今日はいいが明日から仕事だよ、夜は皆と一緒、明日は六時、朝飯遅れるんじゃないよ」と言って出て行

った。
二段の蚕棚は両脇に十列、都合四十人が住む、何の仕切りも無く畳み一枚づつ、ただ眠るだけの粗末な建物

である。
救いは建ったばかりでまだ新しく木の香りがしていたことである。

不安な気持ちで二人は膝を並べ、下の棚に腰掛けた。
日の暮れる頃、外からドヤドヤと荷役を終えた人夫達が帰ってきた。

顔は男か女かも判らぬほど煤で真っ黒である。体つきや声からして同年代の女達であった。
「オヤ、新入りさんかい、名前はーー」

この舎の親分であろうか、年増の女が手ぬぐいで顔をふきふき聞いた。
あわてて立ち上がり「はい、おこまです、おみつです」と返事した。

「これに名前書いて下げときな」
人生の岐路というものに何が関わってくるのか、後年おこまの人生が変わった一つの理由として字が読め、

書けた事であろう。
当時口減らしに出される少女が 「字」など書けようはずも無かっつた。

おこまは子守のかたわら与助からいろはを習った、簡単な漢字も教えてくれた。
「ーーあっそうか書いてやるよ」とおよしが言ったが、おこまが「自分で書きます」と言った。

およしは「ヘエー」とびっくりした顔した。
おこまはおみつの名前も書き、棚の端にぶら下げた。

おこまは、体は疲れているのに眠れず、夜の明ける前から目を覚ましていた。「カラン・カラン」と入り口のカネが鳴る。

蚕棚の女人夫達は一斉に寝床から起きるや、作業着を着て別棟の食堂に走った。
「おみっちゃん起きてる」下の棚を覗くと、おこまより神経の図太いおみつは目をこすっていた。

「ホラ、早くしな、そうだその着物ででいいよ、」二人とも村で着ていた野良衣を着た。
女親分のおよしは荒っぽい言葉の割りには親切で、何くれとなく面倒を見てくれた。

「これに飯盛って、ほらタクワン、ほら味噌汁」とついでくれた。
飯と言っても麦が殆どで、口に入れるとぶわぶわと歯ごたえが無かった。しかし村ではこれさえも口に出来

ず大鍋のダイコン汁が殆どであった。


「荷役」

飯を食べ終わると、「新人、ほらこの肩当してこれを担ぐんだ」とおよしが倉庫から肩当と石炭カゴを出してくれた。

石炭カゴを背に急ぎ足で岸壁に並ぶ、一・二・三棟はワトソン、四号・五号棟はビクトリー、そこには既に
小船が待っていた。

沖のはしけに着くと、夕べ三池港から着いた船に5人ほどの男がスコップを持って待っていた。
「早く並ばんか」石炭船の男達から怒声が飛ぶ。

女人夫達はカゴを船に向けて並んだ、船の男達がスコップで下の女人夫のカゴに石炭を入れる。
「ヨーシ」と言う男の声ではしけの上を伝い歩き目の前の外国船に向かう。

今日は波も無く、はしけの揺れは無かった。
しけの時は、はしけが上下に揺れ、うまく石炭がカゴに入らず頭から石炭をかぶる時があった。

「あんたら、今日は静かで良かったねー」
「私のする通りにするんだよ」

おこま達はおよしがするように横に並んで立った。
背中のカゴがズシンズシンと石炭で重くなる。

稲や赤子を担ぎ、重いものに耐えてきたおこまではあったが、この石炭の重さは尋常では無かった。
外国船の前に着くと、それはそれははるかに大きく高い船であった。

船べりにかかった竹のはしごは、優に五間の高さは有り、カゴを担いでこれを登る、と考えただけでもそら
恐ろしくなる。

「いいかい、登るときは絶対上を向いては駄目じゃけん、目の前の足掛けを見て登るんだよ」
自分が上を見るとカゴの石炭がこぼれて、下を登って来る人夫に落ちかかるのである。

一段、二段と目の前の足掛けを掴み登って行く、やっと登り終えると今度は船の船倉に向かっておじぎす
る、すると背中の石炭が船倉に落ちていくのである。

船倉の手前に手すりがあるとは言え、初めて下に見る船倉は化け物の口の如く、途方も無く暗く大きかっ
た。

おこまは恐ろしさに巧く下を向くこと出来ず、背中の炭は落ちなかった。
「もっと下を向くんじゃ、もっともっとーー」

船上の男人夫が横から怒鳴り散らした。
炭を投げ入れると、別のはしごを伝いはしけに降り、小船に戻る、また石炭を入れてはしごを登る。

女人夫達はベルトコンベアの代わりに延々とこれを繰り返した。
一日これを繰り返したおこまとおみよ、手はこわばり足はガクガク、声さえ出なかった。

「良く頑張ったね」およしが声をかけた。
「夕方までもったんだから明日も大丈夫やろ」

やせのおこまを見て以外に思ったらしく、褒めるでもなく励ましてくれた。
おみつは漁師の娘で、もともと船上での不安定な仕事は慣れていた、ただ荷の重さとあのハシゴと地獄の口

のような船倉はやはり怖かった。
仕事を終え炭舎に帰ると、およしが炭舎の横にある風呂に連れて行ってくれた。

風呂の中はキャーキャー・ギャーギャー、あれ程の重労働の後にもかかわらず、女達が大騒していた。
おこまとおみつはお互いの顔を見てクスクス笑い出した、炭をまぶしたような顔はお互いおかしかった。

肩から湯をかけると「ヒー」と叫んだ。
肩は真っ赤に腫れ、皮が剥けかかっていた。

「ほら新米、これ塗っときな」およしは承知とばかり、塗り薬をくれた。
翌日またカゴを担ぎ、炭を運んだ、腫れた肩に炭の重さが食い込む。つかの間の休憩に「みっちゃん

大丈夫」とおみつを心配した。
家庭環境の良い中で育った訳ではなかったが、人を思いやる心の優しさはどこから育まれるのか、この優し

さは生涯おこまの人生を左右した。
人間の体と言うものは不思議なもので必要な所に必要な筋肉が着き、梯子を握る指も強くなり、足の裏は猿

の足の如く、梯子を掴める感じになった。
一月もすると肩の皮の厚さも厚くなったのであろうか、それ程痛みを感ずる事がなくなった。

                                             つづく









































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