09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

スポンサーサイト

--/--/--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- スポンサー広告

島原の子守唄

2012/06/25
小説  島原の子守唄    
                                            (室長)

「帰郷」

明治三十五年早春

長崎より時津街道を北へ四里、ここは鳴子の峠、西に広がる東シナ海に沈まんとする夕日が黄金をばら撒いたように海を染める。

「ちょっ停めて下され」

車から降りたこの婦人、年の頃は三十半ばであろうか、先程からまばゆい夕日を右手で遮りながら、眼下の部落を必死で見つめている。

一言の言葉を発するでもなくすでに四半時、ほほを伝わる涙も拭かず、ぐぐっと嗚咽を噛み殺したまま目を泳がせている。

逢いたい、逢いたい、会って自分の半生を変えてしまった父母に苦言を投げつけたい、妹や弟の顔を見てみたい、、与助にも逢ってみたいーーー今更何になろう。

「戻りますーーー」
「エッ」

車夫は合点がいかず、このまま戻るんですかーーー」
と聞きなおした。

車上のおこまは、過ぎ去る景色をうつろな目で見ながら、不条理な我が身の半生を想いだしていた。
何でこのようなことになったのか、不運か、幸運か。

不運と言えば、この地、この時代に生まれた事。
幸運と言えば、見知らぬ異国の地に連れて行かれ、娼館で死んで逝った多くの女達の中で、一人日本の地に戻れた事と言える。


「子守唄」

長い鎖国の後、国を挙げての西欧化の空気も西海の偏狭の地には届かす゛、ここ畦刈の百姓は変わることなく、苦しく貧しかった。
僅かな棚田に米麦を植え、目の前の海で魚を取り糊口をしのぐ。

おこまは小作六兵衛とおときの長女として生まれ、今年十四になる。
ヒョロリとしたきしゃな体つきではあるが年とともに色白の目鼻立ちのすっきりした少女に成長した。

貧乏人の何とかやらで、おこまの下にはぶどうの房のように、まだ5人もの妹・弟達が連なっていた。
庄屋の伝兵衛のとこには通いの下働きに来てもう三年になる。

いつものように庄屋の長男伊助の子を背に、デンデン太鼓をカロン・カロンと鳴らしながら海岸を歩いた。

  ♪ おどみゃ島原の  おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
    何の梨やら    何の梨やら   色気無しばよ  しょんがいな
    
    早よねろ泣かんで オロロンバイ
    鬼ん池の     久助どんの   連れんこらるバイ


自分でもいつ覚えたものか、意味も解らず今日も唄って背中の子供をあやしていた。
恐ろしい意味のこの唄が理解できたのは一年もの後のことであった。


「まむし」

七月の田の草取りはきつい、子守の合間におこまは言われるまま田の草取りに出た。

「きゃーー」
おこまは田んぼの隅で手を押さえ座りこんだ。

「どがんしたとかーー」
一枚上の田で草取りしていた与助が飛んできた。

与助は庄屋の次男で今年十八になる。
「アレーーアレーー」
おこまが震えながら指差す方を見ると、稲の中をずんぐりした茶褐色のへびが体をくねらせながら逃げて行く

「マムシじゃ、ヘビは後じゃ」
与助はおこまの手甲をむしりとるように外すと、ヘビの噛みついた二本の歯形に自分の口を当てた。

「チュー・ペッ、チューペッ、チュー・ペッ」
おこまの傷口から何度も何度も毒を吸い出した、そして腰の手ぬぐいを引き裂き肱を縛った。

おこまは気の遠くなるのをかすかに覚えていた。
与助はおこまを背負うと棚田の急な坂道を走り下った。

「おばさん、早よ布団敷いてくれ」

与助の背中で青い顔してぐったりしているおこまを見た母親のおときは、一瞬何が起きたか理解できず
「どうしたんかいーー」と固まったままであった。

「田んぼでマムシに噛まれた」
「後ドクダミで毒を吸い出してくれ」

その夜一晩中熱にうなされたおこま、夢かうつつか、昼か夜か、もうろうとした時を過ごした。
ふわふわした雲の上にいるような気分の中で

「おこまー おこまー しっかりせいーーー」
「チューペッ・チューペッ」と必死に吸い付く与助の口、ふわふわした与助の背が心地よく、いつまでもこのまま続いて欲しいとさえ思った。

「おこまーおこまー」
ああも少しこのままでいたい、日頃の疲れもあってか意識も中途半端なまま目を開けた。

顔の真上に与助の顔があった。
「良かったもう大丈夫やろ」と本当に安心した顔になった。

マムシのこと以来、おこまの心の中で何かが変化した。
「おこま、今日は田の草取りじゃ」

庄屋 伝兵衛の無表情な言いつけも今日は何となく嬉しかった。
与助は黙って草取り用の押し車を二本と鎌を持ち、小屋を出た。

棚田への坂道を登りながら 「おこま、田の中や草むらにいきなり手を突っ込むな」
後ろを着いてくるおこまに言った。

「うん・」おこまは小さく返事した。
この前のこともあり、田んぼに行くのは怖い気持ちもあるが、こうして与助と二人しての草取りは楽しかった。


「鳴子峠」

おこまが庄屋の仕事から帰ると、そこには見知らぬ五十がらみの目つきの悪い男がいた。

 「口之津は今おお賑わいじゃ、何せ手当ても良いしな、この村でいくら奉公しても金にはならん、作次郎んとこのおみつも行く、どうかなお前さんとこも?」

どう見ても人相の悪い男は言った。
「今日の今、返事は出来んやろ、明日また来るでな」と帰って行った。

「おっかさん何のこと、おみっちゃんも行くって」
「後で父ちゃんからーー」

母親のおときは自分の考えも定まらぬうちからおこまに聞かれ狼狽した。

火も無い囲炉裏に座った六兵衛は 
 「のお、おこま、家はこのとおり貧乏じゃ、庄屋さんの手伝い位ではやっていけん、口之津によか仕事があるそうじゃ、給金もよか、家を助けてくれんか?」

おこまにとって今の働きが何であるかも解らず、庄屋んとこへ行けと言われて行っているだけ、十四の娘に給金の良し悪しが解る訳も無く、おこまはただ黙ってうなずく他なかった。

三日後、大きな風呂敷を背に家の戸口を出た、妹のさよは異様な雰囲気に事の重大さを感じ「姉ちゃん」と言って泣き出した。
これにつられるように小さい弟、妹達が泣き出した。

おときは自分の首に下げていたクルスをおこまの首にかけてやりながら「体に気を付けてな」ーーと言って目頭を拭いた。
父親は出てこなかった。

いつものことと、仕事紹介業を自称する久助は「もうそろそろそれ位で」と出発を急かせた。
仕事紹介業とは名ばかり、生来が情けを知らぬ久助、「生木を引き裂き金に替えるが俺の仕事」とおこま達の別れも気にも留めず出発したのである。

もともと今回の紹介は本来の仕事の前段であり、村々のどこにどのような娘がいるかの情報把握であった。

鳴子峠に来た時、おこまとおみつは黙って後ろを振り返った、畦刈の家々がおもちゃのように見えていた、あれが自分の家、あれがこれまで働いた庄屋の、いや、与助の家。

家を出る時気丈にも泣かなかったおこまの両目から涙がこぼれ落ちた。
与助さん私のこと知っとるんだろうか?


                                            つづく





































    
                                     
スポンサーサイト
14:16 未分類 | コメント(0) | トラックバック(1)
コメント

管理者のみに表示
トラックバック
小説  島原の子守唄                                                (室長)「帰郷」明治三十五年早春長崎より時津街道を北へ四里、ここは鳴子の峠、西に広がる東シナ海に沈まんとする夕日が黄金をばら撒いたように...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。