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小説島原の子守唄(第五話)

2012/07/16
小説 島原の子守唄 (第五話)                      (室長)
     
明治35年

「通詞」

イギリスが東南アジアの拠点として東インド会社を設立したのは1819年、
天然資源に恵まれたこの地域は西欧各国の分捕り合戦の末、ほとんどの島々

が植民地となっていた。
ここシンガポール(シンガパーラ:ライオンのいる町の意)もポルトガル・オ

ランダの支配を経て最近イギリスの植民地となった。
日本は清国との戦争に勝利し、南下するロシアの進出を拒まんと軍備の増強

に励んだ。
驚異的とも言える西欧化と技術革新によって国の形は整ったものの、まだま

だ世界の列強には対抗できなかった。
日英同盟の締結後のシンガポールは、ロシアとの戦争を前にした日本との交

易がさらに膨らみ、活況を呈した。

日本語を英訳できる娼婦が居る、と言う噂はシンガポール船員仲間では知れ
渡っていた。

漢字・ひらがな・カタカナと、いくつもの組み合わせで出来た文章は、26
文字で出来たローマ字からなる英文に比べると、非常に難解ななもので、

更に難解な風俗習慣の上に成り立っており、これ等を英訳・和訳することは
暗号の解読のような感さえあった。

ロールス商事支社長のトーマス・ラッフルは、貿易の拡大に喜ぶ反面、この
難解な和文の英訳に困難を極めた。

丁度一年程前、どこで聞いて来たかトーマスは早朝より店に来ると、おこま
に「この手紙英語に訳して下さい」

「ではこの手紙日本語に訳して下さい」と幾つかの手紙を性急に差し出した。
おこまのことはイギリスの船員仲間では知れ渡っていたものの、それは船員

が日本女性からもらった手紙の意味を知りたい故の英訳であった。
おこまは商事会社の専門用語を英訳出来る程ではなかったが、トーマス

は強引に娼館主に交渉すると、その日の内に会社事務所に連れ帰った。
おこまにとって何が何なのか分からないまま生活が一変した。

専門用語を除く英訳・和訳は問題無かった、トーマスは貿易に関する商品な
ど現物を見せ指導、おこまは3ヶ月後にはほぼ普通の文章の英訳は可能な状

態となった。
もともとおこまは、畦刈の子供時代から勉強が好きで、与助にいろはから習

った。
学習能力は高く、見る見るうち、他の男性通訳より早く正確な手紙の英訳を

するようになった。
トーマスが驚嘆するのは手紙の英訳もさることながら、おこまの事務所での

勤務状況であった。
インクが欲しいと思えは゛インクが満たされ、用紙が欲しいと思えば何も言

わずとも用紙が出て来た。
ある日の朝、気分のすっきりしないトーマスは朝から紅茶を飲みたいと思っ

た、いや、思って見た、すると机の上に紅茶が出てきたのである、しかもそ
れはブランデーの香りに満ちた紅茶であった。

どうして人の心の中まで見通したように気がつくのであろうか?
英国人メイドでも言った事はするが、このような事は考えられない。

「英国へ」

これが日本女性の特性でもあるのか?トーマスは更に興味を持つようになっ
た。

支社長であるトーマスは、母国イギリスで結婚、既に18歳になる娘もいた。
しかし妻は5年程前流行病で既に無く、今は当地で娘との二人住まいであっ

た。
ある日、トーマスはシンガポール商社仲間のパーティに、おこまをつれて行

く事にした。
しかし、おこまはなかなか人前に出る事を承知しなかった。

そこで何か望みを叶えてやるからと言った。おこまの望みは日本に帰る
事であった。

渋々着いて来るおこまを、まず美容室に連れて行くと、次に洋装店に連れて
行った。

英国式のドレスをあつらえてやると、もともと色白で目鼻たちの整ったおこま
は、さても見事に変身、トーマスはしばし唖然としたまま見入った。

おこまは西洋の女性のドレス姿は当地でしばしば見てはいたが、まさか自分が
このような格好で、このような席に出席するとは思いもよらぬ事で、ただ落ち

着かぬ思いで隅にたたずんた゛。
しかし何か光るものがあり、後日、あれはどこの婦人か?とトーマスは問われた。

その後、おこまはトーマスの強い希望を受け入れ婚約、長崎に帰省する。
二十年と言う歳月はあまりに長く取り戻す術は無く、鳴子の峠に涙し、またシ

ンガポールに戻った。

二女のおさよは、口之津での石炭運びの無理がたたり、一年後に死亡。

与助はおこまの後を追って口之津に向かったが、その行方は様として分からず
ず、傷心のうちまた畔刈に戻り、百姓の次男のまま一生を過ごした。

唯一行動を伴にし、心の頼りのおみつは三年前結核で倒れ帰らぬ人となった。
死の前におみつは「帰りたい、帰りたい」と子供のように泣き叫んだ、しかし

おこまにはどうしようもなかった。
シンガポールの小高い丘の上に、墓石を日本に向け置いてやるのが精一杯の

供養であった。

今もボルネオやスマトラの街外れには、若くして死んでいった唐行さんと
呼ばれた女性の墓がある。


その後おこまはシンガポールで数年を過ごした後、英国に渡り二度と日本
には戻らず、イギリスで平穏な一生を過ごしたと言う。


「民謡とわらべ歌」

 おどみゃ 島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
 何の梨やら 何の梨やら

 色気 なしばよ しょんがいな
 はよ寝ろ泣かんで オロロンバイ

 鬼ん池の 久助どんの 連れんこらすバイ
                                                                

「タンス長持ち どの娘が欲しい」
  あの娘が欲しい  この娘が欲しい

  後ろの正面 だーれ
  みゆきちゃん

 「買って嬉しい はないちもんめ」
  
 


わらべ唄には悲しい意味を含んだ唄が多くあり、意味も分からぬ子供たちに
より昭和の時代まで歌い継がれた。
                                       完


























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