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小説島原の子守唄(第四話)

2012/07/09
小説 島原の子守唄(第四話)

室長

「証文」

薄暗い灯りの戸口を開けると、走り回る妹と弟達も構わず、六兵衛とおとき
が何やら話し込んでいた。

おこまが帰ったのに気付き話しを止めた。
「ああお帰り??」 とおときが言ったが何となく変な雰囲気であった。

気にはなったが、昼の疲れもあり、部屋の隅にある布団を敷くと眠ってしま
った。

秋の農作業は朝が早い、白々と夜が明けると、一人おこまはそろりと家を出る。
戸を閉めながら振り返り中を見ると、どこが誰の頭か足かわからぬごろ寝の様

に、改めて家中の現実を思い知らされた。
うって変わった青空の下、おこまは束ねた稲わらを梯子の上の与助に渡した。

昼前になると自分だけ早めに作業を終え、昼食の準備にかかる、昼食の準備と
言っても、あぜ道にむしろを引きお茶と質素な弁当を広げるのみである。

「お昼ですよ」とおこまが作業中の兄夫婦と与助を呼ぶ。
おこまは与助の横に並んで座った。

「ほんにあんた達は仲がよかとなー」と兄嫁のお裕美がからかうように言った。
おこまはあわてて与助のそばから離れた。

「そう言やぁ、また昨日手引き屋の男が来よったなー」
「今度はどこの娘ば連れに来たとやろかなー」

「こん村の娘達ゃーみんな居らんごとなるなー」と兄の伊助が少し寂しそうに
言った。

事実、15歳を過ぎた娘は一人減り、二人減りいつの間にか消えて行った。
昼間、伊助の話したことを思いだしながら、とっぷり暮れた海沿いの道を家路

についた。
「ただいま」っと障子紙の破れた戸を開けると、珍しく父親の六兵衛が「お帰

り」と言った。
一升ビンを横に置き、焼酎を飲んでいた。

母親のおときは台所に背を向け「お帰り」っと言ったまま、顔を向け
なかった。

訳のわからぬ悪さ盛りの潤や悠は、ニ間続きの部屋をキーキー言いながら走り
回っていた。

「やかましい、静かにせんかー」 と六兵衛がどなった。
「おこま、ここちょっと座れ」と六兵衛がいろりの傍から言った。

おこまがいぶかしげに座ると。
「あのなー助けると思って、も一度奉公に出てくれんか」

「さよも後から口之津出てもらうが、おまんはも少し給金の良かとこじゃげ
な」

六兵衛はそれだけのことをつっかえつっかえ、湯飲みの焼酎を三度も飲みなが
ら言った。
「・・・昨日の男はやっぱり久助??」

口之津から帰ってまだ二ヶ月、おこまはこのままの生活で良かった。

どんなに農作業がきつくとも気持ちに張りがあった。
「おとっつあん、さよは体弱いし、まだ13 じゃ口之津の石炭運びは無理じゃ」

六兵衛はそれには応えず、代わりに「おこますまんの、家は苦しいんじゃ、どう
にもならんのじゃ」

とおときが言った。
おこまは下を向いたまま唇を噛んだ。

・食うものも無いに、何でお母さんは次々子供産むんじゃろ、何て゛何で
こうなるんじゃろ、おこまには納得がいかなかった。

すでに久助との話はついているものと見え「頼む」 の一点張りであった。
前日、六兵衛夫婦はおこまの奉公の代金として三百円もの大金をもらっていた。

久助は村々をまわり、どこの村にどのような娘がいるのか下調べをしていた。
最初の奉公はなるべく短くして一度家に帰した、一度安心させると、これはと

決めた娘は給金を弾み行き先を決めた。
翌日の朝、あの無表情な鬼の池の久助がおみつと一緒に迎えに来ていた。

おときは衣装を風呂敷に包み、大枚十円をキンチャクに入れおこまに渡した。
「こがんな金」と言って押し返すと「旅先で困った時使うんじゃ」「体気付け

てな」 とおこまの懐にねじ込んだ。
今度も父親の六兵衛は出て来なかった。

「おさよは、うちも後から行くけん」 とけなげに言う。
今度は弟達も泣かなかった。またコンペイトウを持って帰ってくると思ってい

るらしい。
物事に敏感な感受性の強い十才になるおみなが、着物の裾を引っ張りながら

「これっ」と言って渡したのは、自分が大切にしている木製の十字架であった。
おこまは「これみなちゃんが大事に持っとくんよ・」と言っておみなの首に

かけてやった。
おこまは残る弟、妹達の事を考えると足が進まなかった。


「タンス・ナガモチどの子が欲しい ?」
「あの子が欲しい・この子が欲しいーーー」

「後ろの正面だーれ」「さーやかちゃーーん」
「買って嬉しい花一匁」


神社の境内から恐ろしい人買い唄の意味もわからず、子供たちの「はないちもん
め」が聞こえてきた。


「別れ」


朝から畦刈の村は「トントントン・トントントン」 と祭ばやしの太鼓の音が
響いていた。

海岸沿いを少し歩くと庄屋伝兵衛の家である。
門の前に来た時、ハッピ姿の与助が出て来た。

「あれ、おこま、そのなりはは何や、何処行くんや」
まさか、っといぶかしげに与助が言った。

「うん、また奉公に出ることなったけん」 っとおこまが寂しそうな顔で言った。
「何で、何でまたこの前帰ったばかりじゃなかか」

与助は本当に慌てていた。
「オイ、早よ来んか」 先を行く久助が面倒くさそうに催促した。

「また口之津行くけん」 とおこまが念を押すように言った。
「早よ来んかーー」 また久助が振り向き怒鳴った。

おこまは体を前に、首は後ろに向きながら歩いた。
涙で与助の顔がボンヤリしか見えなかった。

与助は六兵衛の家に走った。
「六兵衛、おこまをいくらで出したんやーー」と大声で問い詰めた。

聞き終わるや今度は自分の家に取って返した。
「お父っさん三百円出してくれ、三百円」 っと叫んだ。

庄屋の伝兵衛は何事かと出てきて
「何を突拍子もないことを言うとる、気でも狂ったかーー」

「三百円もの大金どこにあるーーバカタレ」ーーーと相手にしなかた。
「おこまが、おこまがーー」「連れていかれるーーー」

与助は座り込み「チクショー・チクショー」 と言って土間をこぶしで叩き続
けた。 

おこまは泣きながら峠を越えた。
遠くに「トントントン・トントントン」と祭囃子の太鼓の音が響いていた。

おこまは後ろを振り向かなかった。



「オリエンタル号」


口之津は二ヶ月前と同じように賑やかであった。
久助は権造の事務所は通らす゛、わざと裏通りをとおり、海岸近くの洋館建て

の事務所に入って行った。
中で何やら話ししていたが、話しがまとまったのか出てきて「今度はあの人の

いう事聞くんじゃ」と言うと、自分だけそそくさと来た通りに戻って行った。
久助があの人と言った男は、年の頃四十くらいであろうか、きつね目の痩せた

男で、どう見ても信頼できそうな人間には見えなかった。
作蔵と言うその男、おこまとおみよを事務所に招き入れると、パンと白い飲み物

をテーブルの上に置き「長旅で疲れたじゃろ、これはパンと牛の乳じゃ」
「おいしかけん食べると良か」 と、妙にやさしく薦めた。

日が暮れると、おこま達に荷物を持って付いて来るように言った。
おこま達はこんなに日が暮れて、どこに行くのかと不安になった。

小さな伝馬船のある岸壁に来ると、周りをキョロキョロ見回しながら、二人に早
く乗るよう催促した。

作蔵は自分でギシギシいわせながら櫓を漕ぎ出した。
港には何隻もの外国船が停泊していた。

その中でも特に大きな一隻の船に横付けした。船の横腹には階段が取り付け
てあった。

「早く早く」 と作蔵が下から追い上げるように急かせた。
階段を上がると、そこには見上げるような大きな男が二人居た。

作蔵は外国語が話せるらしく、その一人と指の本数を交えながら「OK?」
などと何やら話していた。

最終的に話しがまとまったのか大男も「OK・OKーー」 などと恵比須顔を
した。

眞近に見る外国人はおこまもおみつも初めてであり、恐ろしかった。
大男の一人が指を上に曲げながら「ツイテコイ」と何とかわかる日本語で言

った。

薄暗い階段を何段も下り、通路の奥のボンヤリした明かりの部屋に来ると、
男はドアのカギをガチャガチャいわせて開けた。

そして「ハイリナサーイ」とあごをしゃくりながら部屋に入るよう催促した。
薄暗い部屋に入ると隅の方に先客が居た。

男はまたドアをガチャガチャと締めて戻って行った。
目が慣れてくると、あちらに二人こちらに三人とおよそ同年代の女ばかり

15人程がうずくまっていた。
夜が明け始めた頃、ズシンズシン、ガラガラガラと大きな音がした。

小さな窓から外が見えた。
船が静かに動いているのが分かると、女達が二つの窓に必死にかじりついた。

徐々に速度が上がり何も見えなくなった。
女達は泣くでもなく、話しするでもなく、黙りこくったまま部屋の隅に座り

込んだ。
風呂敷包みを抱えたままのおみつが、「何処行くやろか、何処で働くんやろか」

と不安げに小さい声でおこまに話しかけた。
「うん、どこやろか」とおこまも不安をつのらせた。

女達の不安をよそに、ズンズン、ズンズン、ザーっと鈍い音を響かせながら船
は走り続けた。

しばらくすると誰かが階段を下りて来た。
ガチャガチャっとドアのカギを外すと、二人の赤ら顔の船員がパンとスープの入

ったバケツを運び入れた。
「ヘイ、ゴハン・ゴハン」と言ってパンを口に当て、食べるしぐさをして見せ

た。
娘達は昨日の昼から何も食べておらず、美味しそうなパンとスープの臭いに吸

い寄せられるように集まった。
船員はパンとスープと食器を置くとまたドアのカギをかけ出て行った。


12世紀、中国の元に逗留したマルコポーロは、その著書「東方見聞録」に
あたかも自らが見てきたが如く、東の果てジパングは「黄金の国」として紹介

した。
西欧各国の黄金の国への夢は強く、15世紀の大航海時代を招く一因となった。

西欧諸国の植民地化競争も、19世紀には最終段階を迎え、残る国は極東の
中国・朝鮮・日本のみとなったのである。

1854年、否応なしに開国させられた日本は、その後の混乱はあったものの、
天皇を中心とした統一国家により、あっと言う間に西欧の技術を吸収、強力

な軍事国家を作り上げ、西欧の植民地化を跳ね除けた。


反面国民の生活は貧しく、おこま達の様な話しだけが例外ではなかった。
状況が違うとすれば、密出国は諸外国との関係が深かった長崎ゆえの悲劇

とも言えた。

四日目の朝、ガラガラガラっと大きなイカリの音とともにオリエンタル号は
イギリスの租借地ホンコンに停泊した。

娘達は小さな丸い窓にしがみついた。
そこには、半月形の小さな帆のジャンクが右に左に入り乱れて往来していた。

「どこやろかここ」
たいした貴重品でもない風呂敷包みを抱えた娘達は、小さな声で囁き合った。

ガタガタっと階段を下りて来る船員の足音がした。
ドアを開けた船員は、何時もどおりパンとスープを置き、「ホンコン、ユウ

・ユウ・ユウーーー」っと右から八人を指差しゴハン食べたら「デス、ダウ
ン・デス、ダウン」と船を下りる事を伝えた。
                               つづく





















































































































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